絵【1】〜【10】
【1】頭の上に何か乗ってる。「ぱあああああ」ってどういうことだろう。油断するとぎっしりノートを埋めてしまう癖がある。
【2】また頭の上に何か乗ってる。見方によっては「くまの上の人の上の小人」ようにも見える。汚らしいおじさんもいる。
【3】ねことグランジが融合しました。ぼくはNIRVANAが好きなので、まあそういうことでしょう。つぶらな瞳をしていますね。
【4】誰が何と言おうとモナリザです。モナリザと角刈りの男性。
【5】タンクトップにブリーフという出で立ちだけれど、空飛ぶ豚よりは幾分あり得る存在だと思う。
【6】芥川龍之介も好きです。とくに「河童」が好きです。
【7】Twitterでことあるごとに「よっこい消失」って呟いているんだけど、一向に流行りません。まるで自画像のような絵。
【8】この動物も目が死んでいますね。ぼくはこのフォルムの動物をよく描きますが、自分でも猫なのか熊なのか、はたまたまったく別の種類の生き物なのか、よくわかっていません。
【9】世紀末を意識した人物。猿成分多め。
【10】一時期Twitterのアイコンにもしていた画像。頭から突起が生えていますが、このときのぼくはそれが普通だと思っていました。
イボと西村賢太の話
今日は皮膚科へ行った。
耳の付け根辺りに直径3ミリほどの小さなイボができて鬱陶しくて堪らなかった。以前にも同じ場所に同じようなイボができたことがある。これがまたイボと呼んでみるにも酷く煮え切らない、とても中途半端なフォルムをした突起なのだ。暇を持て余している方がいたら、「親指にできたささくれ」と「水晶クラスター」、この二つの間に生まれた子供を想像してみて欲しい。ぼくは例え話が下手だ。
午後の診察が始まる15分ほど前に病院へ。すでに待合室は満席で、立ったまま名前が呼ばれるのを待っている人までいる。病院には待ち時間はつきものだと観念し、受付で診察券と保険証を渡して、部屋の隅へ移りおもむろに持参した文庫本を読み始めた。
今日のお供は西村賢太の『暗渠の宿』。すでに読んだことのある作品だけど、短編2作が収められた本なので待ち時間に読むのには丁度良いと思った。
病院という空間で西村賢太の作品を読んでみると不思議な感触がした。ぼくは病院に対してそこそこ神聖なイメージを抱いているんだけれども、「蔵書を売ってまで買淫し、あまつさえそこで『ありきたりな相思相愛の恋人』を得ようとする男の話」を読みふけっていると、何だか両者の聖と俗のイメージがぶつかり合い、せめぎ合い、仕舞いにはどこか背徳感のよなうなものさえ涌き起こって来た。皮膚科なのに。
テキトーな背徳感を甘受しつつ30ページほど読み進んだところで、思っていたよりも早く自分の名が呼ばれてしまった。今の今まで買淫男の話を読みふけっていた人間が、今度はそそくさと診察室に入り自分の顔にできたイボを医者に診てもらう。そんな生活のコントラストに頭がぼうっとしているうちにも、先生は気さくな笑顔でイボの原因を説明してくださり、じゅっじゅっと三度か四度、液体窒素で不細工なイボを焼いてくださった。何だか根が深いらしく、これで症状が改善されなければ再度来院して欲しいというよなことを言われた。イボの原因となっているらしいウィルスの名前、何だったけかなあ。液体窒素の感触を楽しんでいる間に聞き流してしまった。
下画像は昨年頭に某地の三省堂でもらったサイン。何度もTwitterなんかで自慢しているが、今日もしておこう。気の小さいぼくは直前に会場近くの居酒屋に入って、一杯か二杯、もしかすると三杯くらいは引っ掛けてからサイン会に臨んだ。そんな状態だったのに「がんばってください」としか言えなかった自分が恥ずかしい。
いや、そもそも酒飲んでサイン貰いに行くって失礼だろ。
みんみんが鳴く時間脳(冬が来た)
「あ、もしもし、ボルネオに生息しているアオエリアブラゼミさんとお話したいんですが」
「はい。ボルネオに生息しているアオエリアブラゼミですね。只今お取次ぎいたします。少々お待ちください」
ピロピ∞ピロピ
「お電話代わりました、ボルネオに生息しているアオエリアブラゼミです」
「あ、いきなりお電話してしまって申し訳ありません。私、×××という者で、今回是非ともアオエリアブラゼミさんの影響を受けたいと思った次第です。あなたはとても少し時間脳が気になっているかもしれないけれど、よりにもよってこの前の二時間くらいの居眠りマークは忘れる記憶です。あなたの気配を感じたならば、今夜のおかずは何がいいでしょうか?」
「ムッシュ!あなたはいささか錯乱なさっているようだ。私はただのボルネオに生息しているアオエリアブラゼミです。セプテンデキムのようにあなたの期待に応えることはできかねます。そよいで散ったヴィヨンの瞳に清濁併せ呑む覚悟を決めてください」
「あ、これは悲劇だ!私はそれこそ話題沸騰中の冷え性で、偽薬の香りに誘われて上京したボルボックスのようなものです。ディオニソス的アブストラクトアートで一杯やりませんか?鈍才かつ貪婪で、オルガとマリーとドラに平手打ちを食らった潜在的アパシーとは私のことです。ハイブローのイデオロギーが過大コミュニティーにおける自己の紛失によって昇華されるのだとすれば、研ぎ澄まされたオタクの愛情はヘレン・フィッシャーによって打ち砕かれるでしょう」
「ムッシュ!あなたはマウナケア山頂に降り立ったカシオペヤAの輝きを静かに愛しているというわけですね。赤色巨星の憂鬱は途方もなく裏返るというわけか」
「あ、私はつまり遊び疲れた韜晦屋で、存在の図図しさに使い果たされ始めているといった具合です。グリムスボトン火山に眠る私の中長期的兄弟は神の首に両の手を添えたままで最後の言葉を待っています。しかしまた私の言葉遊びなどはディープブルーに常に二万手先まで読み解かれているに決まっていて、舌端火を吐くことすらままならないのです」
「ムッシュ!よしんば淵瀬の無常さに一度ほどいたマフラーを再び巻き直すようなことがあったとしても、私たちは神を殺すべきではなかったようです。権利とタイミングの問題がもっと俗っぽく一晩中死ぬんだ」
「あ、盗んだ名前をマズローの欲求段階説に当てはめてみるならば、バケツランの受粉の仕方なんかは思索の試作が実用化された良い例として正当に評価されるべきだ。チューリングとうり坊が交差する我々の商店街にジーン・ハックマンが素敵なブティックでも開いたのならそれなりの塩梅が期待できるのかもしれません」
「ムッシュ!噛み過ぎて味の失せたガムのサルベージが困難になった以上、善人も悪人も何かしらには正直であるのは確かなようです。結露した窓の向こうで塵埃にまみれた老犬がびょうびょうと咆哮して飢餓を告発しているのは腫れ上がった必然の致命的遺言状とでもいったところでしょうね」
「あ、それはどうにも釣り針に頬を裂かれるような話だ。始点と終点を欠いた曲線に円と名付けたように、超一流のドラマツルギーを用いて憂鬱を支払いながら生きる為に生きるのは模造したカタストロフの差異か災禍のどちらかでしょう。可視光線の泉の中、私は鼻の効かない犬のようになっていた」
「ムッシュ!どうやら私たちは大抵の屈辱に接近し過ぎたアウフーベンの残骸に成り果てた。情報の増大と合理化への志向は比例するとして、鈴生りの電灯を横目にエントロピーの海にしけ込んでみませんか?」
「あ、それではシェーンベルクの作品23を足掛かりに自由競争の原理で待ち合わせることにしましょう」
「ムッシュ!作用し作用され続ける側から言わせてもらえるのならば、それは名案だ。では、さよならです、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
プツ∞ツー∞ツー
柔らかな白のヴェールを求めて
かわいいものを接種すると、その間のほんの一瞬間だけではあるが、頭の中に山積した嫌なイメージに柔らかな白のヴェールが掛かる。
つらく苦しいときほど人はかわいいものに触れるべきなのだ。
で、行きました。ヴェールで覆う為に。
第一印象からして鬱蒼としていて良い。
東京は息苦しい。いろいろなものが慌ただしく詰め込まれ過ぎているのだ。それに比べて金沢動物園のこの佇まいはどうだろう。どう贔屓目に見ても山じゃないか。
入り口から続くトンネルに据えられていた猫。えも言われぬかわいさを有している。
ぼくには確かな目的があった。
キリンやゾウなら上野でも見ることができる。金沢動物園には、ほかではあまりお目にかかれない「ある動物」がいるのだ。ある動物。それは、
寝てた。
多摩動物園のチューバッカくんが昨年天に召された為、東京近郊でウォンバットに会えるのは金沢動物園だけになってしまった。
コモンウォンバットのヒロキ。日陰で寝てたもんだからどこにいるのかさえよくわからなかったけれども、それでも随分かわいかった。以前チューバッカくんにお目にかかった時、彼はこれでもかと展示室内を動き回っていたが、むしろウォンバット本来の姿はこうであるのかもしれない。
そうそう、ついでにヒロキの家の前にあったオブジェもそこそこかわいかった。
顔がだるまみたい。かわいいんだろうか。たぶんかわいい。
ウォンバットは夜行性だ。こういう展開も織り込み済みである。
ウォンバットに対しては心の広いぼく。ぐうぐう眠っているヒロキに別れを告げ、その後はコアラのランチタイムを見るなどして園内を巡った。
これでもかというほど自然に塗れた場所。おまけに高台にあるので開けた所へ出ると素晴らしく景色が良い。
ほかの動物園では見たことがないくらい活発だったコアラ。こなれたかわいさがある。
自然塗れの場所から見下ろす町。現実と非現実の狭間にいるようでくらくらした。
昼過ぎに到着して、園内をぐるっと一周した頃には十六時を回っていた。
もう夢の時間が終わってしまう。そんなことを考えながら猫の据えられたトンネルを抜け、ぼくは金沢動物園をあとにした。
あれから一週間も経たない。なのにぼくの弱り切った心はまたかわいいものに飢えている。柔らかな白のヴェールを求めている。
また近いうちに金沢動物園を訪れなければ。そして願わくば次の機会にはヒロキが起きてくれているようにと思う。
サーヴ・ザ・サーヴァンツ
犬山さんはプロフェッショナルだった。
何のプロかというと、勤め人のプロなのである。ただし職業は不明だ。
犬山さんは「とら」によって神田が破壊されたときも律儀に出社したのだという。何の仕事をしているのかは不明だったが、兎に角出社したのだという。
ぐちゃぐちゃに分断されてしまった交通網を横目に、ハッハと息を切らしながらお茶の水の職場まで駆けて行ったらしい。神田の一件については下記を参照のこと。
「犬山さん、本当に真面目なんですね」
ぼくは皮肉を込めて言ったつもりだったのだが、犬山さんはそんなことにはまったく気が付かない様子で得意気に鼻を鳴らしていた。忠実であることが犬の特性であるのか、それとも犬山さん個人の特性であるのか、ぼくは判断に迷った。
「非現実の波が押し寄せて来たって会社は私を待っているんだよ。会社が私を待っている限り、私には会社に行く必要がある。現実はきみが思っているよりもタフなのさ」
犬山さんの主張にはぼくの苦手とするニュアンスがふんだんに盛り込まれていたのだけれども、きっとこれはこれで一つの生活の形なんだろうと思う。
彼の吐息は生臭く、やたらと「生きていること」を主張しているようでぼくは参ってしまった。